鬱患者の松島担とパニック障害の松島くん
こんにちは!
始めに言っておきます!
どちらかというと、いやどちらかと言わなくてもけっこう重い話になります。しかも割と私的なお話です。それでもよければぜひ読んでやってください。
えーと、以前からTwitterをフォローしてくださっている方はご存知だと思いますが、わたしは精神的な病気を持っています。
率直に言うと鬱です。タイトルに書いちゃったけど😚
初めて行った病院では適応障害だと言われました。
病院は何回か変わってるのですがそこ以外ではどこでも鬱だと言われるので鬱みたいです。
曖昧やな〜。血液検査とかCTとかで検査するわけじゃないからしょうがないのかな〜。
鬱になった理由まで書き出すと本当にキリがないですが、簡単に言うと、人並みに気分が落ちてるタイミングで5万年分くらいの不幸が一気に押し寄せてきてどんどん潰れていった。みたいな感じです。いや、わかりにくすぎるんじゃあ(ノブ)
“鬱状態”だと診断されていた時期に聡ちゃんがおやふみして、ちょうど理由があってそれから少し経ったタイミングで病院を変わったら“本格的な鬱”と言われました。ワロタ。
鬱っていうと、外に出れない。学校に行けない。仕事ができない。引きこもるしかない。
みたいなイメージあるじゃないですか。
違うんですよねぇ。十人十色。色々あるんです。
わたしはこれまた訳あって一人暮らしなので、親の援助はあるといえども自分でお金を稼ぐ必要があり、日雇い派遣のバイトでなんとか食いつないでいます。
不思議なもんで、前の日の夜行きたくなくて泣いても、朝起きるとき体が動かなくても、行きの電車のホームでこのまま飛び降りてしまおうかなんて考えても、仕事が始まると普通に働けちゃうんですよ。もちろんしんどいのはしんどいですよ?でも笑顔だって作れちゃうんです。
だから仕事現場で知り合った人はわたしが鬱だなんて想像もしないでしょうね。
一度、精神科の先生に「わたしは無理をしてたとしても外に出て働くことができてる。だから自分は病気ではないと信じたい。」と言ったことがありました。
二つ返事で「あなたは立派な鬱です」と言われました。鬱らしいです。
“悩みを人に話せない、全て自分で解決しようとしてしまう、悩んでることや辛い状況を周りに知られたくない、だからどれだけしんどくてもいつも元気に振る舞う。”
鬱はそういう人がなる病気だと。人に悩みを打ち明けることや辛いときに辛いと言える人は鬱にはなりませんと。
親にあんまり迷惑かけられないからできる限りバイトの予定を入れて、ギリギリの生活をして、毎日心もギリギリで、きっとこんなときって、普通なら聡ちゃんのようにおやふみして治すことに専念するべきなんだろうけど、
引きこもりの時期、昼夜逆転の自堕落な生活でただただ部屋の片隅で自分を責めるしかすることがなくてそれが辛くて、どうせ何しても辛いんだったら外に出て働いてお金もらおうと思って。
それで自分からどんどん無理して精神を削って、何やってるんだろう。何が正解なんだろうってまた心を消耗させたり。
病院も中々自分に合うところが見つからなくて3回変わりました。
薬の副作用が爆発して1週間で体重が6キロ落ちたこともありました。
何も信じられなくなって、自分が情けなくて、でも毎日つらすぎて病院に頼るしかなくて。的な?(的な?)
鬱がわかったのが去年の秋頃。
一人暮らしを始めたのが今年に入ってから。
しばらく引きこもって日雇い派遣に登録したのが4ヶ月前。2ヶ月ほど前から働く頻度を増やす。
とにかく家を出たくて後先考えず一人暮らしを始め、結果的に今家族とはいい距離感で接することができているけど、一人暮らしという選択により金銭面での負担が増えました。
精神科の先生には、金銭面の負担が一番精神的に影響を及ぼすと言われました。
あー、治すために家を出たのに自分で自分の首を絞めたわけだ。
何やってんだろわたし。
ここで!実家に戻ればいいじゃんって思った人いるでしょ〜😊それができたらこんな苦労しないんですよ〜😊今の家族との距離感が丁度いいんです。何度も実家に帰ることは考えました。今も考えてます。またそれも、悩みの種だったりします。
前述した通り、弱いところをどうしても家族に見せられないわたしにとっては、たまに笑顔で会うくらいが丁度いいんです。異変が出始めてから一人暮らしを始めるまで4ヶ月ほど家の中で失語症のように家族と話せなかった時期があったくらいです。だから、希望としては、治るまで実家に戻る気は無いです。都合のいいワガママだということは分かっています。
家族のサポートは正直わたしを苦しめることもありますが、親の前で過呼吸になってバレるまで鬱であることを隠し続けたわたしに、今、彼らも悩みながら必死に力になろうとしてくれていることは痛いほど感じます。
だから、家を出たことや、実家に戻る選択を躊躇してしまう自分にまた絶望してしまいます。あぁわたし最悪だ。
そんな感じでこの3.4ヶ月、身体的にも精神的にも正直かなり無理して生きてきました。
無理して働いて無理して生きて自分の情けなさと馬鹿さに失望して毎日死にたい恐怖に襲われて。
何やかんや色々あったこの短い人生の中で確実に1番しんどかったです。
3.4ヶ月って文字にすると意外とあっという間ですね。びっくり。
長かったーわたしにとっては本当に長かった。
鬱が良くなってるのかも正直なところわかりません。数値などが出ない分、治ってるのか、何が治った基準なのかわかりにくいのです。というか、治った基準って、はっきり言ってないんです。先生にもそれは言われました。だから不安なんです。いつ普通に戻れるのか。
そんなわたしが、1ヶ月ほど前に、レギュラーのバイトを始めてみようと突然思いました。
ずっと親に本音で話すことができなかったわたしが、先生の後押しでやっと少しずつ本音を言えるようになり、本当に辛いときには弱音も吐けるようになり、それは私にとって一歩前に進めたという感覚でした。
精神的に異変を感じ始めたときから考えればその一歩を踏み出すのに9ヶ月程かかりました。
そのタイミングで、バイトしよう。
また一歩踏み出してみよう。と思ったのです。
実は一人暮らしを始めた頃、日雇い派遣のバイトを始める前にレギュラーのバイトをしたことがありました。3回出勤して飛びました。決して環境も人も悪いところではなかったです。
それからまた中々一歩が進めませんでした。
少しでも気を楽にできるよう、自分の好きなことに関わるバイトを選びました。
新しいバイトが自分に全然合わなかったらどうしよう。多くて月の半分程度しか働けなかったわたしがレギュラーのバイトできるのかな。でもまた飛んだら生活が逆戻りだ。
とか
そもそも鬱が治ったわけでもないのに何一歩踏み出しちゃってんだよ。余計無理してね?普通ここで休まね?バカじゃね?でも引きこもっても逆に辛いんだもんな。何が正解なんだ?
とか
しかもわたしは就活生の代なので、周りのみんなが就職していく中フリーターで、あーあのとき病気になってなかったら普通に就職して誰かと結婚して普通に帰って普通に眠ってたのに、このタイミングで病気になったことでこのままわたしはずっと劣等感と後悔と共に生きていくのか。
なんて
面接から採用の連絡期限までの1週間、考えても仕方ない不安ばかりよぎっていました。
と、長々喋ってなんですが、
結果はダメでした。
連絡来ませんでした。
笑顔で頑張ったつもりだけどなぁ☺️
鬱の治療中って正直に書いたからかなぁ☺️
ざーんねん☺️
でもこれはわたしにとって大きな一歩でした。
前に進めなかったけど、一歩踏み出せました。
この一歩を踏み出すのに3ヶ月かかりました。
まぁまぁショックなので次のバイトを探すのにまた時間はかかりそうですが…笑
ここで聡ちゃんの名前を出すのはずるいですよね。わかってます。わかってるけど言います。何度でも言います。
病気の人が一歩進むってめっちゃしんどいんです。
わたしは何度も病院を変わったりサボったり、休むべきだろうときに無理しまくってるので、きっとしっかりサポートしてもらいながら治療しているであろう聡ちゃんと自分を同じにする気は毛頭ありません。そんな失礼なことできません。
でも、パニック障害にしろ鬱にしろ、大変さを理解されにくい病気であること、治療にとても時間と労力がかかる病気であることを少しでも考えてもらえるきっかけになれば。と思います。
「常に笑っていたい。笑顔を宝物に人生を頑張りたい」と話していました。
彼は24時間テレビ中一回も涙を見せませんでした。24時間テレビだけじゃなく、いつ何時もステキな笑顔が輝いていました。
「どんな瞬間も笑顔」それはきっと彼が強く心に決めたことなのでしょう。
そして皮肉にもそれが知らず知らずのうちに彼を蝕んでいたのもきっと事実です。
わたしもそうだったから。
「いつも笑ってるよね」「いつも楽しそう」とよく言われるわたし。
そう過ごすのはそれが自分が目指している理想だから。
だけど決して、無理してそう過ごしているわけではないんですよね。
いつも笑顔でいたい気持ちが染み付いてるから、別に無理して笑顔を作ってるわけじゃないんですよね〜厄介だ。
いつも笑顔でいたい。辛いことがあっても笑ってればなんとかなる。しんどいときでも笑顔のわたしだけをみんなには見ていてほしい。
きっとそれはわたしに潜在的にあった、いわゆる“鬱になりやすい人の要素”だったのでしょう。
これがわかった今でも「いつも笑顔でいたい」という考え方は変わりません。人間の性格ってそう簡単に変わらないらしいです。
これで数日後に聡ちゃんがおはようしたら、ものすごく嬉しいけどわたし的にはめちゃくちゃ恥ずかしいことになりますね(笑)
もちろん1日でも早くまた聡ちゃんの笑顔が見られるならそれ以上に幸せなことはありませんが!
でも、聡ちゃんが結果的に病気を治すのにかかった時間が何ヶ月であれ、何年であれ、大変な思いをして治療をしていたことに間違いはありません。
今の時点ではおはようの報告がないからこういう言い方をしますが、
寂しいのはみんな同じだけど、何年でも待つくらいの覚悟でいてほしいんです。勘違いしてほしくないのですが、決して、期待をするなという意味ではありません。
何かにつけて“もうすぐ復帰かも”と期待してしまうのは仕方ないし止めません。当たり前のことです。というか、そもそもただのファンのわたしにみなさんの感情をどうこう制御する権利なんてありません。
実際そうかもしれないしね!次のシングルから復帰かもしれないし、明日お知らせがくるかもしれない。それは誰にもわかりません。
でも残念ながらそんな簡単なもんでもないんだよな〜。ってことを頭の片隅にでも入れておいてもらえたら、同じ精神的な病気を持つものとしてわたしの気が楽になります。
わたしの、気が楽になります。(お前なんかい)
えーと、始めにも言いましたが、これはかなり私的なブログです。
ちょーっとだけ、ちょっとだけ時間をください。
わたしへ
つらかったね。よく頑張ったね。
ベランダから飛び降りようとして、でも届かなくて室外機に登ってそこから下を見た時すごく怖くて飛び降りるのやめた日あったね。
カミソリで腕に傷つけてみた時もあったね。怖くて手首に刃を当てる勇気はなかったけど。
寝るのが怖くてベランダから夜の街灯りを眺めてぎゅっとを聞きながら声を殺して泣いた日もたくさんあったね(ここで発揮されるセクラバの本能)
最後の1.2ヶ月、馬鹿みたいに働く予定入れて(それでも普通に働いてる方からしたら全然なんですけど💦)、何事も大雑把なわたしが何日もかけてお金の計算して、この日働いた分でお亮の写真集買おう。とか、何日働けば静岡行くお金貯められる。とか一生懸命考えて。「一区切りつくまであと何日」ってカウントダウンの用紙作ったり(笑)
バイト採用されてもされなくても一旦区切りをつけようと思っていたから、とりあえず自分にご褒美をあげようと思ってそのために頑張って外に出て働いて。
自分にご褒美あげようと思ったことだって進歩で。
少しだけでも自分を休ませる時間をちゃんと作ったの偉いね。
休んでも何していいかわからないから、すぐ働けます!って言ったこと若干後悔しかけてたけど、普通に落ちたね!笑
もうすこし休もうか。
あーとりあえず先の生活費貯めといてよかったー!笑笑
とりあえずお疲れ様。
よーしおっけー!
長々とお付き合いセクシーサンキュー!
ここで一旦一区切り付けたくてブログに残すことにしました。
もういいかなと思ったらしれっと非公開にするかもしれません。気分で生きてます。アルパカなんで🦙
ツイ廃全開なこと言いますけど、Twitterの住人でいるときめっちゃ楽しいんですよ。本当に。仲良くしてくれる人がたくさんいるし。大好きな話題で溢れてるし。
それこそ言いたいこと包み隠さず言えるし。
sexyzoneと同じくらい、自我を保つために力を貸してくれる存在です。
Twitterありがとう!文明に感謝!
聡ちゃんにおかえりって言えるその日まで生きます。
それがまず1番の目標です。
重い?知ってる。
早く普通になりたいな。
早く完治させたい。
がんばろー。
とりとめのない話すぎてどう終わらせばいいかわかんないな…笑
いやいや、大事なこと言わなきゃ!
こんなクソ重い話を最後まで読んでくださってありがとうございました。
一区切りつけて一歩踏み出したわたしを生暖かい目で応援してやってください😊
ガンバレー🧚♀️(セルフ)
んじゃ、明日も頑張って生きるかー!!!
みなさんも、ご自愛を大切に💚