聡ちゃんはわたしの精神安定剤。
わたしの大好きな聡ちゃんが
突発性パニック障害になったらしい。
つらい。苦しい。
つらさが少しわかるから。
わたしは数ヶ月前から、精神科に通っている。
聡ちゃんと同じ病気ではないけれど、まぁ、にごすけど、よく聞くアレだ。(濁し方下手くそか)
それが判明したての頃は、自分が精神科にお世話になっているという事実、病院で告げられた病名、処方された薬、全部がショックだった。
むしろその事実のおかげで余計に病んだんじゃないかと思うほどショックだった。
だから聡ちゃんの、
“自分の病名やこの状況に戸惑いショックを受けている”
という言葉がすごく重かった。
きっと繊細な聡ちゃんは、わたしが感じた以上にショックを受けたのではないかと思うとつらくてつらくてたまらなくなった。
わたしは病気のことは誰にも話さなかった。
聡ちゃんのことがあって初めて、わたしが1番素を出せる同担の友だちに話した。
正直、すごく躊躇した。
家族も知らない。
それ以外の人は未だに知らない。
これからも言うつもりはない。
精神的な病気は勘違いされやすく理解されにくい。
だから人に打ち明けるのはすごく勇気がいる。
たとえそれがどれだけ信頼している相手でも。
1人で抱え込むには大きすぎるから誰かに知ってほしい、だけど言えない。理解してもらえない。変に心配されるのも嫌だ。
そんな葛藤に支配される。
SNSを通じてだとこうやって発信できるのはそういうことだろう。これを読んでいるあなたはわたしのことをこれっぽっちも知らない。
当たり前のことだけど、しょうがないことなんだけれど、当事者にならないと苦しみはわからないし、これだけ偉そうに語っているわたしだって、聡ちゃんの苦しみがどんなものなのか知ることはできない。
その苦しみは誰一人、理解することはできない。
そんな中で聡ちゃんは、病気のことを自分自身が理解し、向き合い、前を向く前に他人に発信しなければならなかった。
どれだけ苦しかっただろうか。
胸が締め付けられる思いとはこのことだろう。
聡ちゃん、どうか自分を責めないでね。
お願いね。
どんな聡ちゃんも大好きで、
いつまででも待ってるから。
小さなわたしの願いなんて、これっぽっちも届かないだろうけど。
そもそも、わたし自身、一番の精神安定剤がこんなことになった今、これから先どう生きていけばいいのかわからない。
聡ちゃんのことが大好きで大好きでたまらなくて、それがわたしの精神安定剤なのだ。
自分がこんな状況になっても、
どんな薬よりも治療よりも効く特効薬だと思っている。
笑われるかもしれないけど。
聡ちゃんの歌を聴くこと。
聡ちゃんの映像を見ること。
聡ちゃんの画像を眺めること。
それが自分のお薬だったのに、今はちょっとつらい。
もちろん今もこれからもずっと、聡ちゃんの存在はわたしの元気の源であることは変わらないけれど、
死にたいと思ったとき、眠れないとき、意味もわからず急に不安が襲ってくるとき、気持ちがしんどくなったとき、頼りだった聡ちゃんにしばらく頼れなくなったら、わたしは、どうすればいいのだろう。
聡ちゃん、一緒に乗り越えて行こうね。
なんて言えたら楽なのだけど。
乗り越える力が無くなったとき、いろんなことに耐えられなくなったとき、
自分はどうなってしまうのだろう。
全く想像がつかないな。
今まで色んなことに耐えられなくなったとき、わたしが支えにしていたのは聡ちゃんだったんだから。
松島聡くんという存在が、
どれほどわたしの心の拠り所になっていたか、
充分わかっているつもりだったけど。
わたしは聡ちゃんがすっごく好きなんだなあ。
大切なんだ。
1年も前からしんどい思いをしていたのに、それを見せず、24時間テレビという大仕事をやりきった聡ちゃん。
一つ一つに全身全霊で取り組んで、しっかり爪痕を残すかっこいい聡ちゃん。
常に幸せをくれる聡ちゃん。
わたしの生きる希望でいてくれてる聡ちゃん。
今までもこれからも、ずーっと大好き。
聡ちゃんにはいつも笑顔にしてもらってるから、
たまにはね。
聡ちゃんのために涙を流してもいいよね。
だってまたすぐ笑わせてくれるもんね。
わたしには待つことしかできないけど、
それならいつまででも待ち続けよう。
しばらくバイバイだね。聡ちゃん。
いっぱいありがとね。
少し頑張ってみるね。もう泣きそうだけど。
だからどれだけゆっくりでもいいよ。
しっかり休んでね。
聡ちゃんが休養すること。
いつまた大好きな聡ちゃんに会えるのか。
これからの自分。
理解できないことやわからないことだらけで
つらくて不安で仕方ないけど、
また聡ちゃんの可愛い笑顔を見られるその日まで、
ちょっとだけ、サヨナラバイバイ!
聡ちゃん、また今度ね😊